続日本100名城
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  「続日本100名城」は(財)日本城郭協会が平成29年4月に発表。平成30年4月からスタンプラリーを開始した。
***スタンプはこれからながら既に登城済 **たぶん登城済
北海道 101 志苔舘
102 上ノ国勝山舘
青森県 103 浪岡城
岩手県 104 九戸城
宮城県 105 白石城 ***
秋田県 106 脇本城
107 秋田城 ***
山形県 108 鶴ケ岡城 ***
109 米沢城 ***
福島県 110 三春城 平成30年(2018年)7月28日登城 こちらから
111 向羽黒山城
茨城県 112 笠間城
113 土浦城 ***
栃木県 114 唐沢山城 **
群馬県 115 名胡桃城 平成30年(2018年)6月24日登城 こちらから
116 沼田城 平成30年(2018年)6月24日登城 こちらから
117 岩櫃城 平成30年(2018年)6月24日登城 こちらから
埼玉県 118 忍城 平成30年(2018年)8月30日登城 こちらから
119 杉山城 平成30年(2018年)8月30日登城 こちらから
120 菅谷館 平成30年(2018年)8月30日登城 こちらから
千葉県 121 本佐倉城 平成30年(2018年)5月27日登城 こちらから
122 大多喜城 平成30年(2018年)5月27日登城 こちらから
東京都 123 滝山城 ***
124 品川台場
神奈川県 125 小机城 ***
126 石垣山城 ***
山梨県 127 新府城 平成30年(2018年)9月27日登城 こちらから
128 要害山城 平成30年(2018年)9月27日登城 こちらから
長野県 129 龍岡城 ***
130 高島城 ***
新潟県 131 村上城 ***
132 高田城 平成30年(2018年)4月22日登城 こちらから
133 鮫ケ尾城 平成30年(2018年)4月22日登城 こちらから
富山県 134 富山城 **
135 増山城 平成30年(2018年)4月21日登城 こちらから
石川県 136 鳥越城 平成30年(2018年)4月21日登城 こちらから
福井県 137 福井城 **
138 越前大野城 平成30年(2018年)11月18日登城 こちらから
139 佐柿国吉城 平成30年(2018年)11月17日登城 こちらから
福井県・滋賀県 140 玄蕃尾城 平成30年(2018年)11月17日登城 こちらから
岐阜県 141 郡上八幡城 ***
142 苗木城
143 美濃御金山城
144 大垣城
静岡県 145 興国寺城 平成30年(2018年)9月24日登城 こちらから
146 諏訪原城 平成30年(2018年)9月24日登城 こちらから
147 高天神城 平成30年(2018年)9月24日登城 こちらから
148 浜松城 ***
愛知県 149 小牧山城
150 古宮城
151 吉田城 ***
三重県 152 津 城 **
153 北畠氏館
154 田丸城 ***
155 赤城城
滋賀県 156 鎌刃城 平成30年(2018年)11月17日登城 こちらから
157 八幡山城
京都府 158 福知山城 **
大阪府 159 芥川山城
160 飯盛城
161 岸和田城 ***
兵庫県 162 出石城・有子山城 ***
163 黒井城
164 洲本城
奈良県 165 大和郡山城 ***
166 宇陀松山城
和歌山県 167 新宮城
鳥取県 168 若桜鬼ヶ城
169 米子城 **
島根県 170 浜田城 **
岡山県 171 備中高松城 ***
広島県 172 三原城 ***
173 新高山城
山口県 174 大内館・高嶺城
徳島県 175 勝瑞城
176 一宮城
香川県 177 引田城
愛媛県 178 能島城
179 河後森城
高知県 180 岡豊城
福岡県 181 小倉城 ***
182 水城 ***
183 久留米城 **
福岡県・佐賀県 184 基い城
佐賀県 185 唐津城 ***
長崎県 186 金田城
187 福江城 **
188 原城 **
熊本県 189 鞠智城 **
190 八代城 ***
大分県 191 中津城 ***
192 角牟礼城
193 臼杵城 **
194 佐伯城 **
宮崎県 195 延岡城 ***
196 佐土原城
鹿児島県 197 志布志城
198 知覧城
沖縄県 199 座喜味城 **
200 勝連城 **

          ■110 三春城 
    スタンプ設置場所 「三春町歴史民俗資料館」
    (登城日 2018年7月28日 )


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***
 桜、梅、桃の三つの花が一時に咲くからこの町を三春と呼ぶという。本当にそうなのだろうか?こんなロマンチックでオトメチックな地名をいつから名乗っているのだろうか?こんな簡単な疑問をネットではなかなか回答が見つからない。
 三春は私の故郷に近く、「滝桜」のせいもあって馴染みの深い土地なのだ。小さいけれど有名な三春藩田村氏の歴史は芦名、佐竹、岩城などと争って、結構ヤヤコシイ。結局、愛姫が正妻として嫁いだ伊達家の後ろ盾で生き延びたのだが、徳川の時代はそれが仇になったか、田村家は改易となる。その後、これまた、ゴチャゴチャといろいろな藩主が入れ替わり、最期、維新の時には新政権に先走って、隣の二本松藩の恨みを買うなど落ち着かない歴史を持っている。
 この戊辰戦争後に福島県で所領安堵された大名家は、中村藩(相馬家)、守山藩(松平家)、そして、この三春藩(秋田家)の三家のみである。三春藩士の自由民権家・河野広中の誕生。3万石の小藩「福島」が県庁所在地になった理由。調べれば面白いことが沢山ある城である。
***
 この城に相馬野馬追祭りを見物に行った時に寄った。相馬に宿が取れず、郡山まで戻って一泊する途中である。不気味に静まり返り、すれ違う車も稀な浪江の通りを粛然として通り過ぎた日暮れ、16時半。スタンプ設置場所が閉まりかける時間を承知で押しかけ、無理に開けてもらって捺印したのだ。
 台風の余韻で降ったり止んだりの雨の機嫌を取りながら、城へ向かう。1504年築城と「公式ガイドブック」に明記された山城。何故、その時、田村嘉顕は「城」を造ろうと思ったのだろう?誰の真似をしたのだろう?例によって、私は駐車場で同行三名が本丸まで登って写真に記録してくれるのを待つ。「公式ガイドブック」には、スタンプ設置場所に「本丸(ボックス設置予定)」とあるが、「二之丸跡」の写真後方に移る赤いボックスがその設置場所だろうか?
 三春の町はなんとなくお洒落な街並みで、三春というオトメチックな町名にふさわしい。



          ■115 名胡桃城 
    スタンプ設置場所 「名胡桃城址案内所」 
    (登城日 平成30年6月24日)


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 久し振りに城探訪のフルコースをした城だ。いつもの通り7時にYさんの迎えを受け、関越月夜野ICからすぐの名胡桃城の駐車場に着く。9時30分。駐車場もかっての般若郭の由だが、城の案内所はすぐそば。(写真1)立派な建物。ヴィデオ、展示、鎧兜(写真2)、常駐の案内人と内容も立派。満足してスタンプを押す。
 城を一回りする。山城ではあるが、郭は堀切で区切られていて、さほどの高低差がなく、よく整備されているので、今の私の足でもなんとか本郭の先の物見近くまで行って、帰る事が出来た。(写真3〜5)最近の城見物ではそこまで見る余裕がなく見過ごしてしまう「碑」(徳富蘇峰の筆)や小さな祠に奉納されている訪問客持参の六文銭などにも目を向ける事が出来た。(写真6、7)
***
写真・1 写真・2 写真・3
写真・4 写真・5 写真・6 写真・7

 フルコースに欠かせないのが城の故事・来歴だ。その点、この小さな城は全国区だ。小田原北条が豊臣秀吉の調停をないがしろにして、真田が守るこの名胡桃城を攻めたのだ。秀吉はこれに激怒して、北条征討のキッカケとした。そのキッカケとなった城として歴史に登場するのだ。
 しかし、北条が名胡桃城を積極的に攻めるとはチト不自然と思う。おそらく秀吉・真田などの名うての役者たちが巧妙に挑発し結果的に北条討伐の口実をデッチ上げた。と、信じる人は私の他にも多いだろう。
 
 名胡桃、沼田、岩櫃。群馬の「続百名城」は全て真田ゆかりの城だ。往年のベストセラー池波正太郎「真田太平記」を紐解かざるを得ないだろう。新潮文庫第3巻には「偽書」が飛び交い、北条が名胡桃攻略に踏み切った、と、記されているがこれが真実とは作者も思っていない、と、邪推するが。いずれにしても、北条は秀吉に服せず、滅ぼされた。



          ■116 沼田城 
    スタンプ設置場所 「沼田市観光案内所」 
    (登城日 平成30年6月24日)


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 この城は今まで数度訪れたことがある。近辺には観光地が多いので、沼田城は寄りやすい場所だからだろう。交通の要衝として重要な城とよく解る。しかし、城そのものは、公園と化し、中を歩けば移築された国重要文化財生方家や土岐邸などの見物が主になるほどだ。
 従って、今回は前の訪問時にはなかった城入口の立派な「観光案内所」の立派な「スタンプ捺台」で捺印し、Yさんの散策を待った。

 待つ間、考える。この城は1532年沼田氏が築いた由。それまではなかったのか。なくても沼田氏は生きてこれたのか。しかし、城がないと忽ち滅ぼされる時代となった。
 これは沼田氏だけでなく、日本中、地方豪族は同じ運命背負ってしまった。
 これらの築城の費用は?いくらくらいか?誰が、誰に払うのか?

 改めて、日本の城の歴史を考えねばならない。「日本百名城公式ガイドブック」には百名城を築城年代順に整理した資料がある。第一号は「吉野ヶ里」だ。あの史跡を「城」と定義した見識には敬意を表するが、誰からの攻撃に対する「守りの城」か?が、定かではない。「吉野ヶ里」に匹敵する攻撃者が、国内にいたのか?その遺跡があるか?大陸からの敵を想定する論者の方がまだ説得力がある。
 吉野ヶ里の次の城は、大野城、鬼ヶ城で、これは目的は「大陸」だと明確だ。しかし、不思議なのはそこで日本の築城は長い眠りの時間があるのだ。記紀にも壬申の乱にもヤマト政権の全国統一にも城は出てこない。精々、稲城であり茨城である。古墳の形状、大小によって、大和朝廷が地方豪族を傘下に入れていく過程が解るだけで城は出てこない。
 ヤマトは東北に手を伸ばす。そこで多賀城などが登場するが、さて、頼朝の全国制覇、源平の戦いでは城の出番はない。大体、武士の相手の朝廷は城を持たないではないか。ようやく南北朝の混乱期に楠正成の千早城で城が歴史の表舞台に登場する。先ほどの築城年代史にも登場する。

 この辺で私が持つ城への疑問を述べるのはやめよう。城を築く費用がどう作られるかも、又別途に考えを纏めよう。でも、でもだ。これら中小豪族の収支はどうなのだろう?租税。しかし、年貢というように収入の主は秋の収穫の時一回ではないのか?負け組は勿論、勝って新領地に入っても、収穫期まで年貢は入ってこないだろう。
 城の縄張り・普請・作事・歴史への興味から、その資金繰りに興味を持つのが私のこれからだと思うのだが。
 
 こんな事を考えているうちに、Yさんが写真を撮って帰ってきてくれた。
 以下、その写真。
***
スタンプ捺印 沼田城にあったという天守閣模型。
よく造る金があったものだ。
鐘楼。綺麗な写真。
今回のもう一つの主役、
名胡桃城が遠くに。
絵図
 
 ■今回の真田三城巡りの昼飯は道の駅・中山盆地の「レストラン 中山盆地」
3色蕎麦の「中山盆地スペシャル」と「ひもかわカレーうどん」をそれぞれチョイス。
ローケーションも味も素晴らしい道の駅です。






          ■117 岩櫃城 
    スタンプ設置場所 「平沢登山口観光案内所」 
    (登城日 平成30年6月24日)


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***
 名胡桃城から国道145号で岩櫃城へ向かう。この道はドイツにならって「日本ロマンチック街道」と名付けられ四万、草津、河原湯などの温泉やロックハート城などへ行くときによく使った。約1時間、11時半に平沢登山口着。案内所は仮の小屋だが(写真1)、林立する「続百名城岩櫃城」の幟が初々しい(写真2)。小屋の中のパンフレット類も実に豊富だ。その中の「真田街道ガイド」などはパンフレットと云うより充分に読みごたえがある一冊だ。なにしろ、上田、長野から始まって、妻恋、沼田、片品などの群馬県11か所を網羅し、白石、由利本荘、蔵王の東北に飛び、大阪、九度山まで全国の真田関連の史跡を案内している。発行は上田市観光課内。流石、岩波の牙城、長野県だ。
 有難くスタンプを押印し、山城の模型など見てから、やおら、登山口へ向かう(写真3、4、)。岩櫃山、標高こそ802Mと高くはないが、頂上付近は200Mの断崖絶壁。コースによっては鎖場もあると。名前からして恐ろしそうで、登山の現役時代も敬遠してき
***
写真・1 写真・2 写真・3 写真・4
 その中腹の山城だ。身障者の手に、ではない、足におえる城ではない。ここもYさんにお任せ。でも、Yさんが本丸へアタックしている間、単独、「中城跡」まで足を運ぶ。足を上げて歩けたのだ。往復30分。このような記事が訪城記のメインになるのだが仕方ない。
(写真5〜8))

 池波正太郎の「真田太平記」は武田勝頼の滅亡の時から始まる。新府に逃げ帰った勝頼に当時の真田の党首、昌幸はこの岩櫃城に籠って陣を立て直すことを強く勧めているが容れられなかった。この大長編の真田家の物語は真田家は既に武田家の有力な武将となってから始まって、その前の真田の庄の小豪族の時代には触れていない。
 それならそれでよいが、一将卒の真田家は主の武田家から俸給を貰っていたのか?それとも自分で稼いだ金を上納金として主人に収めていたのか?真田家も家臣を抱えている。彼らに俸給は支払っているのか?各々、自分の衣・食・住をどう賄っていたのか?
 
 現代。市と県。県と国。各々、補助金を貰うのか?納入するのか?PCで吉川市の予算を覗いたのだが、今のところよく解らない。
 
 城を建てる金の捻出をはじめ、「真田家の家計簿」を調べてみたい。
写真・5 写真・6 写真・7 写真・8



     ■118   忍城  
         登城日 2018年8月30日 
         スタンプ設置場所 「行田市郷土博物館」
 

***
 館内は車椅子利用

 「続百名城」では初めてのKの車での訪城。7時吉川駅。8時57分行田市郷土博物館。3分間開館を待つ。入口にスタンプ台。100円の入館料を払わずに捺印できるが、開館してなければ無駄足も。
 博物館の展示を見る。城見物を諦めているのでゆっくりヴィデオを数か所見る。「ヴィデオの前に椅子がない」と係に云うと、「車椅子をどうぞ」と。ナルホド。

 忍城水攻めは秀吉の指示
 展示見学の収穫は、忍城の「水攻め」を石田三成に指示した秀吉の書状を見たことである。巷間、三成が秀吉を真似て実施して失敗したと云われている。だから、三成は実戦が下手だ、だから、関が原で負けたのだ、と、云われている。往年のベストセラー「のぼうの城」も三成主導説に基づいている。話は違うが、「松島や ああ松島や 松島や」を、「私は」、ではなく、「私も」長い間、芭蕉の句と思い込んでいた。季語がないと気がついて調べて初めて他の狂歌師の作と知った。クワバラクワバラ。

 大名と国変え

 忍城は秀吉の小田原攻めで唯一、落城しなかった城とも知った。名城なのだ。だから徳川家も大事にして、城主には松平家や阿部氏などの親族、譜代が続いた。
 しかし、この城に限らず、藩主の交代・移封は何故行われたのだろう。功績があっての加増や失政があっての左遷などの明白な理由がある場合は解りやすいが、なんとなくあっち行ったりこっち行ったりする大名・家臣、或いは御用商人たちの苦労を、私は知ることが少ない。だから、百名城の丹波篠山城で「大名と国変え」の絵図は貴重品として、私のホームページで異彩を放っているので、見てほしい。大名の国変えは疑問を持つ人が多く、パソコンで検索すると、多くの質問に多くの回答が寄せられている。これも併せてご覧ください。

 行田市散策

 行田市は観光資源が豊富な市だ。古代ハスの里、埼玉古墳公園などこれ一つで充分人を呼べる。ナントカ通りの人形群など面白いのに市の観光案内にも載ってない。それほど多士済々なのだ。屋内でさえ車椅子を使ったくらいだから、博物館で見つけた郊外の石田堤を
一つだけ訪れて次に向かった。 




***


     ■119   杉山城  
         登城日 2018年8月30日 
         スタンプ設置場所
 


ご報告準備中







          ■120   菅谷館  
         2018年8月30日 
         スタンプ設置場所 
         「埼玉県立嵐山史跡の博物館展示室受付」
 
***
 埼玉県比企郡嵐山町菅谷がこの菅谷館の住所である。埼玉県人で40年過ごしたので、県名はすっかり身についている。比企郡は島津家の出身地として、嵐山は名門ゴルフ場の名として何れも好印象のある地名だ。菅谷も然り。昔、スリーデーマーチの集合地として知り、その後、城探訪で一日かけて歩いたところだ。とりわけ比企一族は頼朝の乳母比企尼、修善寺物語にも語られ北条政子にいびられる若狭局など悲劇のにおいが立ち込める一族だ。
 それでいてこの博物館に入るのは初めてだ。ここでは最初から受付で車椅子を借り、下りのスロープではKに支えて貰ったりしてゆっくりヴィデオを勉強する。
 私が勉強している間にKは城見物。直ぐ帰ってきた時間からして一部しか見なかっただろう。この暑さだ、無理に勧められない。

 畠山重忠の居館でその後山内上杉の城になったという。重忠は、頼朝の奥州征討でも武力を発揮しているらしいが、それは平家物語のような語り部がないせいか皆は知らない。

 Kの車に戻る。この齢で彼は燃費の良い新車に乗り換えている。ただ、乗っていて前より安心な運転になった。スピードはあまり出さず、無理な追い抜きなどしないし、車間距離も充分だ。と、褒めたが、彼は褒め言葉と取ったかどうか。
 ナビも勿論搭載しているが、それにはあまり頼らずスマホを手放さない。危険じゃないかと思ったが、スマホもチャンと音声で案内するのだから安心だ。
 昼にトンカツを食べたいとリクエストすると、アーラ不思議、ヒキちゃん(今日私が名付けたスマホナビの名)は人里離れて繁盛しているトンカツ屋に案内してくれ、満足した。


***







          ■121 本佐倉城  
    スタンプ設置場所 酒々井中央公民館 
    (登城日 平成30年5月27日)


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***
 千葉県は隣の県だから数えきれないほど行っている。しかしその殆どが、千葉カントリーであり、大利根カントリーであり、茂原や果は夷隅などのゴルフ場であって、千葉市を訪れたのはこの長い人生で二回のみである。
最初は顧客開拓に行った。わが社は、北海道から沖縄まで全国に顧客を持つのに一番近い県に顧客口座が一つもないのが如何にも口惜しく、見込み客に飛び込んだのだ。ケンモホロロに扱われ意気消沈して一度で諦めた。
 二回目は、既に仕事から片足どころか両足を抜いて、城見物に熱中し始めた時である。東京から乗り換えなしで1時間。更に歩いて行ける千葉城に登った。「竜馬がゆく」を読み耽っていた時代である。千葉は北辰一刀流千葉道場の千葉で、竜馬と婚約したともいわれる、息女千葉佐那と北辰一刀流の北辰つまり北極星に興味が集中していて千葉の歴史には関心がなかった。。

 現在の千葉でさえ馴染みがないのだから、歴史を遡って頼朝の時代からこの地に根を張っていた千葉一族の盛衰は全く頭に入っていない。この本佐倉城は「千葉氏の最期の地」とあるのだが、鎌倉・室町期の関東は、千葉氏のみならず誰も彼もゴチャゴチャの時代だ。
 群雄割拠と云えば聞こえは良いが結局はドングリの背比べで、ようやく小田原北条が
統一したと思ったら、忽ち、秀吉に降参して、北条傘下に入っていた千葉氏も永い内憂外患に苦しみぬいた歴史を閉じた。

 さて、本佐倉城。国指定史跡の典型的な山城。最初から登城は諦めて、真っ先にスタンプ設置場所の酒々井町中央公民館に車を停める。写真の如く公民館は入口に「祝続百名城選定」の垂れ幕があり(写真・1)、内部の一等席にご丁寧な「スタンプはこちら」の指示がある。(写真・2&3) 
***

写真・1

写真・2

写真・3
 訪問数はまだ少ないが、今回選定された「続百名城」の土地の人は、最初の「百名城」の諸城より、選定されたことを光栄と思い、城フアンと共に知名度を上げようと盛り上がる姿勢が嬉しい。
 本佐倉城の廃城後、徳川政権は佐倉城を設け、佐倉城は早々と千葉県で唯一、百名城にノミネートされている。当然私は訪城している。その時のスタンプ設置場所の印象を、私の、百名城訪城記佐倉城の巻から以下転記する。

 佐倉城の百名城スタンプの設置場所
 城は国立歴史民族博物館の一郭にある。違う。博物館が城の一郭にあるのだ。
 この城の住所を見てみよう。「城内町 官有無番地」こんな番地が世の中にあるとは。
 とにかく、城の中に国立博物館がある。但し、百名城のスタンプは当然この博物館の入口にある筈なのに、「100名城スタンプは佐倉城址公園管理センターで押印できます。管理センターは自由広場の隅にあり」と、遠くに余計者のように追いやられている。百名城スタンプのフアンは多いし、今後も増えるだろう。地方活性の有望な戦力をこのように冷遇するケースは他にどこがあったろうか?」

 本佐倉城に話を戻そう。場所はそこから車で直ぐだ。山城の入り口を歩いて少し登ってみる。(写真・4&5&6)100歩位は歩いたかな。今の私にはこれ以上は無理、と、いとも簡単に諦めてサッサと車に戻り、帰宅へ。ここから松戸は近い。したがって吉川も近い。千葉と埼玉はかっては同じ葛飾郡に属していたのだから、近くて当然だ。


写真・4


写真・5


写真・6



          ■122 大多喜城  
    スタンプ設置場所 大多喜城内
    (登城日 平成30年5月27日)


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***
 今、私の住む埼玉県吉川市の東を流れる江戸川を越えれば、そこは千葉県だ。関東一都六県のうち、東京・神奈川は視野に入れず、私は埼玉県のライバルは千葉県と思い定め、折に触れ勝手に両県の優劣を頭の中で論じている。今日は、千葉県の「続百名城」を訪ねるというのでいささか身構えている。千葉県の百名城は佐倉城のみ。埼玉は鉢形・川越の二城。
 「続百名城」でも千葉は本佐倉と大多喜の二城に対し、埼玉は忍・杉山・菅谷の三城。何れも埼玉が勝った!ワーイ、万歳!私の優劣論とはせいぜいこんな程度なのだ。

 例によって、7時にYさんに迎えられ千葉県へ出発。今回、千葉県に行くのはYさんが新聞で見つけた長生町役場周辺の蕎麦畑の花を見るのが主目的だ。失礼。長生「町」と書くとそこは徳島県阿南市の町で、ここは、長生「村」なのだ。
 ルートを東京経由でとったため、千葉に入る渋滞に悩む。千葉県のゴルフ場へ通っていた時代、散々経験した渋滞だ。そう、これぞ、千葉県の泣き所だと云いたいが、埼玉も場所によってひどい渋滞があるか。

***
 白い蕎麦の花は初めて見たので壮観だ。Yさんの写真を見てほしい(右写真)。近所の蕎麦やを見落とした為、味わうことは出来なかったが。ついでに、役場に寄って、トイレを借りた。
 長生村とは一昔前なら名前だけでも人を呼べる縁起の良い名前だが、今は如何だろう?長生きが決して目的にならない時代になったのではないか。

 そんな顰蹙を買うような話はひっこめて、大多喜に向かう。何故か大多喜はこれまで数回来ているので、スタンプだけ押して帰ってもウシロメタイ気持ちにならない。しかし、スタンプがある「大多喜分館」とは、城の模擬天守閣のことなので結局は急な階段を攀じ登って二階まで行かねばならなかった(写真・1)。
 但し、入館したお蔭で、館備え付けの兜を女性スタッフに着付けてもらい、Yさんと二人で写真に納まる事が出来た(写真・2)。「兜は重いですよ」と着用前に云われたが、その通り、かなりの重量である。これを冠ぶって尚戦うのだ。現代だったら、矢玉除けはツルんとしたヘルメットであろう。重い兜をなおかつ飾り立てた昔の武士の美的感覚に敬意を表すべきであろうか。

写真・1

写真・2

 
 
 城のあちこちに「本多忠勝を大河ドラマに」という幟がはためいていた。同様趣旨の幟は小谷城で「三姉妹を」、高遠城で「保科正之を」と見た記憶があるが、本多忠勝は大河ドラマになるほどのドラマを持っているか。申し訳ないが知らない。
 けれど、いやしくも徳川四天王どころか、徳川三将に入る猛将の本多忠勝である。何故こんな田舎で、10万石で・・、と思う。パンフレットには里見家に対する押さえと書いてあるが、なにか勿体ないと思うのだが。そう思うのは当然で、この人事は家康が関東に移封された時のもので、まだ、徳川は天下を取っていないのだ。

 納得したところで、城を後にし、駅前の「大手門」を写真にとり、駅前の「番所」で「猪どんぶり」を食べ、次に向かった(写真・3&4)。

写真・3

写真・4



    

 ■127  新府城  
      2018年9月27日 
      スタンプ設置場所 「韮崎市民俗資料館」


       

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***
  新府城は武田勝頼が築城した。いや、築城しようとした。勝頼は信玄の嫡男として偉大な父に負けまいと奮闘したが挫折した二代目の典型として有名だ。
 しかし、今、甲府市を訪れると来年の「開府500年」への準備で盛り上がっている。
 500年前の「1519年に、武田信虎が甲府市のつつじが崎に館をつくり甲府を開創」と、市のホームページに書いてある。「開創」とはどうゆうことか?解ったようで解らぬ文章だがそこは無視してここでは、武田信虎とは信玄の父、勝頼の祖父であり、よって、勝頼は三代目であると認識を改めよう。
 信虎だって、歴史ある武田家の何代目かで、後継ぎ争いに勝ち残って、たまさか、つつじが崎に館を開き、嫡男の信玄が全国区の武将になったので「初代」となったのだが。
 「たまさか」初代になった信虎の生涯も、スサマジイ。甲斐をほぼ纏めたと思ったら、今度は自分が息子の信玄によって甲斐を追われ、駿河に亡命する。そして、息子はおろか、孫の勝頼より長生きするのだからオソロシイ。ご縁があれば、詳しく正確な彼の人生を知る事が出来るだろう。

 新府城。勝頼は長篠の戦で惨敗してからここに築城を始めた。何故、ここに建てようとしたのだろう?支払いはどう工面できたのだろう?真田昌幸は自分の岩櫃城(「続百名城」に選定)への逃避を勧めたというが・・。

 十年ほど前に発掘している場所を通りがかった。道路の傍の車で簡単にアクセス出来た。しかし今回行ってみたら、そこは駐車場になっていた。本丸は矢張り山城。私はその駐車場で、今日の同行者、KとSが登って帰ってくるのを大人しく待った。


 
 
 
 
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 ■128  要害山城  
       登城日 2018年9月27日 
       スタンプ設置場所 「甲府市藤村記念館」

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 この城へはKの車で行った。Kは沖縄から始まって九州・四国・中国地方の百名城の殆どを彼の車で案内してくれた。
百名城完登の時は、二人で江戸城で捺印しその足で城郭協会を訪れた。平成26年2月26日。今から4年以上前の話だ。この顛末は私のホームページ百名城の「江戸城」をお読み頂ければ有難い。
あれから4年「続百名城」が始まった。Kも私も80歳となった。彼の運転での遠出は遠慮せざるを得ないが、近いところなら、と、彼も乗り気になってくれて、今回は第一回目だ。

 先ず、甲府駅前のスタンプ設置場所へ。「藤村記念館」の「藤村」とは?と道中話し合うが、解らない。甲府には島崎藤村は似合わないし・・。
 館内に入って藤村とは明治初期山梨県令となった藤村紫朗の藤村と解る。但し、この記念館は藤村県令を記念するためでなく、彼が推進していた擬洋風建築を保存するための記念館とも解った。(1967年国の重要文化財となる)藤村紫朗は県令としては評判が良くなかったようだ。
 県令と云えば三島通庸をすぐ思う。百名城で訪問した山形城内には彼が建てたこれも国の重要文化財『旧済生館病院本館』があった。彼は鶴岡、山形、福島と県令を務めたが功績もあるが、政治的な弾圧に強権を用いた。特に、福島県では自由民権運動をひきいた河野広中を投獄するなど「鬼県令」と恐れられた。私の祖父は三春藩士河野広中のシンパであった。
三春城は「続百名城」に選ばれ先日訪城したばかりだ。しかし、只、行って、スタンプを押して帰ってきた。三春藩の歴史に思いを廻らせなかった。申し訳ないことをした。
 私のホームページ「遠藤晶土の百名城を行く 山形城」及び「続百名城 三春城」を読んでいただければ有難いが。

 記念館で無事捺印し、ついでに、年甲斐もなく、親切な女性スタッフと記念写真を撮って要害山城へ向かう。
 この城は十数年前か、探訪したことがある。尾根道に曲輪や井戸やらの小さな標識が建っている。あたりは、やせ尾根に草叢が茂るのみで私の知識では昔を思い浮かべる術もなく、ただ登って車を置いてある積翆寺に戻った。
 その時の印象が強いので、パンフレットに「本城・支城ともに遺構の保存状態が良く、戦国期のやましろの様相を今日に伝える貴重な史跡で国指定史跡となっている」の記事に目をつぶって積翆寺から引き返してきた。

 工事でガチャゴチャしている城内に静かに佇んでいる国の重要文化財「旧済生館病院本館」を見学する。人間大好きな私は、例によって、病院の施設よりこの時代や場所にそぐわない立派な病院を強引に建てた、当時の山形県令、三島通庸に興味を惹かれた。
 鶴岡・山形・福島と東北各地の県令を務めた元薩摩藩士三島は、交通網の整備や、近代的建築の導入など今に残る功績もあるが、増税や労役賦課、寄付金強要などへの批判に対しては弾圧一辺倒であった。
 そして、福島県令に着任すると自由民権運動を徹底的に弾圧し、自由党の首領、河野広中を逮捕。投獄した。
 福島県は私の両親の故郷である。母方の本家には河野広中からの自筆の手紙が額に入って飾ってある。見てはいるが、内容を確かめたことはない。いや、河野広中の経歴も、読んだことがなかった。この機会に検索して見ると出獄後も結構大活躍をしている。
 パソコンは便利だ。知らないこと・知りたいことを瞬時に教えてくれる。但し、キリがない。山形城と三島通庸は関係があるが、元三春藩士河野広中は関係がない。生憎、三春城は百名城でないが、何れ、紹介する機会があることを願う。

 県令と云えば山形城の一隅に「鬼県令」と恐れられた三島通庸を思い出す。私の祖父は彼に弾圧された福島県
 
 当時の山梨県令だった藤村紫朗が推進していた「藤村式建築」と呼ばれる擬洋風建築の代表作とされる

 
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 ■132 高田城 
      (訪問日 平成30年4月22日)

       

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 鮫ヶ尾城の探索を諦めたので、少し時間が出来た。「帰りがけの駄賃」で「高田城」に寄ることにした。「行きがけの駄賃」という言葉の語源を紐解くと「馬子が荷物を届ける時、他の荷物も持った場合の駄賃」とあり、ナルホド、「行きがけ」の言葉より、「駄賃」の言葉の語源が馬子に払う賃金なのだと腑に落ちた。親切な辞書では、「現在の運送会社は帰りの荷物に頭を悩ましている」とまで書いてある。が、私が悩む問題ではない。
 高田城は交通至便の平城、桜の名所の観光地として有名で情報豊富、いつでも行けると思って未訪城である。丁度良い機会と、寄ってもらう。鮫ヶ尾城から、約、40分。折しも桜の季節。今年は開花が早く、また時間も15時に近かったので日曜・快晴でも混雑は少なく、無事、身障者用駐車場に入る事が出来た。
 ここで、書きにくいけど、本当のことを書こう。私は、この駐車場で、車から降りることもなく、ボケーッと時を過ごしたのだ。城探索はおろか、スタンプ捺印までYさんに任してしまったのだ。この怠慢、ルール違反が、「最初」となるのか、「最初で最後」になるのか?今後、傘寿の私をどこまで甘やかすのか?或いは、どこまで叱咤督励するのか?興味を持って見守りましょう。
 スタンプ設置場所)は「公式ガイド」には「2018・7までは高田公園内小林古径邸受付管理棟、7月以降は上越市立総合博物館(仮称)」とある。再訪も面白いだろう。
 Yさんがスタンプをゲットして車に戻った後、車で城を一回り。(写真1〜4) 私にとって、この城の主役は家康の六男忠輝である。友人に忠輝の熱烈なフアンが居て、その友人の影響で、春日山城の帰途、上越市の福島城を訪ねたことは「百名城」の記録に書いた。忠輝は福島城からこの高田城に移り、その後、有為転変の後、幽閉先の諏訪高島城にて生涯を閉じる。忠輝の本当の実像を我々は知る事が出来ない。友人も私も隆慶一郎の「捨て童子 松平忠輝」で活写されている彼の活躍の幻に酔っているだけだ。どんなヒーロー振りか?スッカリ忘れたので再読の積りでアマゾンに頼ると、送料別で1円で販売されている。この直前に今後、Yさんにインプットしてもらいたく司馬師の「越前の諸道」をアマゾンから1円で購入し送付したばかりだ。これらの名著が1円とは!たとえ10倍、100倍でも我々はありがたく買うだろうに。
 
 
 
 
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写真・1

写真・2

写真・3

写真・4

 
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 高速道路の山と川
 今回のドライブも絶好の快晴に恵まれた。関越、上信越、北陸の各高速道路は豊富な残雪を残す山々が左右に現れ、二人はその比定に忙しかった。曰く、妙義山、浅間山、立山、剣、毛勝、上越国境の山々、妙高三山、そして、白山。
 中央高速も山々を楽しめる道だが、北陸道はさらに日本海に流れ込む数々の急流も横切っていく。ざっと、姫川(糸魚川市を河口とする。「糸魚川という川はない」と、初めて知った。丁度、吉川市に吉川はないと同じだ)、黒部川、常願寺川、神通川、二級河川犀川、庄川、小矢部川、手取川。(九頭竜川は越えたのか?)この川達の経歴調査は、今後の楽しみにしよう。

 帰途は青春の歌声を
 帰途、白山市の美川駅を通った。Yさんが云う。「ここは浅川マキの出身地だ」エッ?私はこのシャンソン歌手の大フアンだった。銀座や新宿のシャンソン喫茶は勿論、日劇ミュウジックホールに客演した時も追っかけをしたくらいだ。ミュージックホールの華やかな舞台でもトレードマークの黒一色のドレスで自分だけの世界を歌い切った彼女の雄姿を、半世紀過ぎた今もマザマザと思い浮かべる事が出来る。しかし、半世紀前、私は若かった。Yさんは私よりさらに若い。浅川マキを知っているの?知っているどころではなかった。レコードを買い、それをテープに落とし、今日も車に積んでいるのだ。で、二人、暫く無言で懐かしい彼女の声に耳を傾け、我々の青春に思いを馳せた。

 彼女のテープが終わると、Yさんは新しい番組に切り替えた。Yさんは学生時代、白山の山小屋でアルバイトをした。数年続けてすっかりベテランになった。仕事が暇の時、Yさんたちは集まって酒を飲んだ。飲んで歌った。歌はY歌もあった。女性のメンバーもいたが、当時は今のようにセクハラなどと世知辛いことは誰も言わず、皆、大らかに楽しんでいた。
 その、数十年前の歌声が今発見されて、この車内で聞く事が出来たのだ。若い男性たちが適度なアルコールに声を限りに声を合わせる。同じ歌の繰り返しになってもその情熱は尽きることがない。そのエネルギーに圧倒されて我が家まで心地よく送ってもらった。
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      ■133 鮫ケ尾城  
      (訪問日 平成30年4月22日)

       スタンプ設置場所
         「斐太歴史の里総合案内所」


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 ホテルの朝食をゆっくり食べて、先日、古河城で仕入れた電子タバコも一服して、店が開くころを見計らって白山市安田町の桶和饅頭店に車を走らせ、名物の「きびだんご」を土産に仕入れる。Yさんは加賀や能登は地元なので詳しいのだ。城下町には古い歴史を持つ和菓子の名店が必ずある。この店も、日本有数の城下町金沢が誇る名店だが、地味な店構えで案内がなければ味わう事が出来ない銘菓だった。

 13時、斐太歴史の里駐車場に着く。山道を少々登ってスタンプが置いてある案内所へ。(写真・1、2)
今日は日曜。絶好の行楽日で、地元のシルバー連の「史跡めぐり」の会員で山小屋風の案内所は満員だ。(写真・3)スタンプを押し、無料の豚汁を振舞われ、若い「史跡めぐり」の引率者の案内を聴き、シルバー連の夫人から差し入れられた「菊芋」(写真・4)の漬物に舌鼓を打った。

 鮫ケ尾城。このオドロオドロシイ名の城も、申し訳ないが、名前すら聞いたことがない。
国指定史跡なのに・・。ただ、城の名前は知らないが、ここで戦った謙信の二人の養子、景虎と景勝については勉強したことがある。「百名城」の春日山城を訪城時、「御館」も見た。
何の防御もない平城の印象があった。そこでの戦いに敗れた景虎はこの鮫ケ尾城に立てこもったが敗れ、ここで自害したのだ。
 ここから見る城は案内図を見るまでもなく、数々の堀切、郭が並ぶ起伏の激しい山城だ。(写真・5)本家の春日山城はジックリ時間をかけて勉強した。健脚のYさんをもってしても
それこそ二の足を踏むだろう。と、早々に決めて、駐車場までヨタヨタと退却した。

 尚、この城のスタンプ設置場所は12月―3月は「神の宮温泉かわら亭」と公式ガイドブックにある。この設置場所の方が再訪問の興味がわく。
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写真・1

写真・2

写真・3

写真・4

写真・5

 



     ■134 増山城 
      富山県礪波市増山  続百名城訪城第一城
      (訪問日 平成30年4月21日)

       スタンプ設置場所「砺波市埋蔵文化センター」


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 早朝5時、迎えに来てくれたYさんの車で出発。関越、上信越、北陸自動車道路を砺波でおり、流石、Yさん、迷わず「増山城」に着く。先ず、「増山陣屋(写真・1)」に入る。案内図は壁に沢山貼ってあるが、無人。スタンプもない。スタンプの代わりに、スタンプのシールが沢山置いてある。喜んで貼ったけれどこの方がコストがかかると余計な心配をする。
 後で気づいたことだが、スタンプ設置場所は「砺波市埋蔵文化センター」だと、「公式ガイドブック」に明記されている。かなり離れた場所だ。ここのシールは初心者の我々に対するサービスなのだ。今後、ここ同様、足が不自由で、且つ、高齢な私には登城不可能な山城の百名城が目白押しで、「続百名城訪城記」は「続百名城スタンプ集めの旅」のタイトルとなりかねない。スタンプ設置場所の記録に気を付けよう。
 少し離れた城の入り口まで車で送ってもらい、登り始める。が、すぐに悟る。ここは山城だ。それも、「国指定史跡」の立派な山城だ。私の壊れた足ではとても本丸などへ辿り着く筈がない。写真・2の場所で私は待ち、Yさんに登ってもらう。ざっと一回り、Yさんの駆け足でもってしても30分かかったのだ。すっかり意気消沈して車に戻り、次に向かう。

写真・1

写真・2
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 これが、「続百名城訪城記」の最初、幕開けの城だ。
「続百名城」は2018年4月6日(シロの日)に選定された。そのリストは直ちにエクセルに落としたが、訪城開始は各城のスタンプが完備する2019年4月6日(シロの日)以降と決めていた。
冒頭の「続百名城」のリストを分類した結果を記入してみると、
1 行ったことがある城 31城。
2 行った記録はあるが記憶が薄い城 18城
3 訪城してないが名前は知っている城14城。
4 名を知っているような知らないような・・の城 4城
 5 全く名前も知らない城  33城
 と、なり、この私をもってしても名も知らぬ城が知っている城とほぼ同数ある。

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別所のたけのこ

 そもそも今回のツアーの目的は城ではない。Yさんの故郷金沢の「たけのこ」を賞味することなのだ。昨年来の計画で、Yさんの故郷の友人からの「たけのこ料理が始まった」の報せを待ちかねての旅なのだ。14時近く、予約してある金沢市別所町「竹の子めし 高野」(写真A)に入る。竹の子の刺身(写真B)、天麩羅(写真C)、筍ごはん(写真D)などを堪能した。

金釼宮
 堂々たる神社。境内にある「義経腰かけ石」は、将来、義経の平泉への道を研究するための資料となる。さらに、今、友人に付き合い紐解き始めた「奥の細道」旅行中の句とある「芭蕉句碑」(写真E)も、柞原集やら小松市の句碑やら、調べだせばキリがなくなりそうだ。
で、次の鳥越城へ向かう。

写真A 写真B 写真C 写真D 写真E
  
  


          ■136 鳥越城  
    スタンプ設置場所 白山市立鳥越一向一揆歴史館
    (登城日 平成30年4月21日)


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 増山城、金釼宮を終え、車を鳥越城へと走らせる。車は山道をかなり詰めて鳥越城の本丸直下の駐車場まで行ける。(写真・1)本丸には櫓門(写真・2)が復元され、説明版も行き届き(写真・3)井戸も見ることが出来(写真・4)、カタクリの咲く山道(写真・5)も適当にあり、久しぶりの山城見物が出来た。本丸からの城下も、Yさんの見事な写真で見る事が出来た。(写真・6)
 さて、スタンプ。幸い、設置場所の「一向一揆資料館」はすぐに見つかったが、滑り込んだのは17時を回っていた。帰りかけるスタッフに頼み込んで、スタンプを押すことは出来たが、館内を見ることは出来なかった。しかし、本丸への登城口脇に立つ碑「一揆敗れて山河あり」(写真・7)は、たった一つの「碑」でこの城の歴史が持つ一揆の凄まじい戦いとその凄惨な終末を垣間見せてくれた。

写真・1

写真・2

写真・3

写真・4

写真・5

写真・6

写真・7

***  鳥越城とは?「国指定史跡」の城に対して誠に申し訳ないが、今まで、全く名前も知らない城だった。この城は多くの他の城と違い、城主はたとえ武士であっても城を武士としてでなく一揆の指導者として築いているようだ。九州島原の天草四郎が立て篭もった「原城」を思い出すが、私は島原城は百名城のよしみで訪問しているが原城へは残念ながら行ってないのだ。原城は今回の「続百名城」にノミネートされているが、いつ、行けるかなー。
 一向一揆についても知ることは誠に少ない。かって、歴史上不明な点があれば、司馬師の「街道をゆく」に頼った。今、パソコンで引けば何でも解る時代と思って、師の本を本棚に飾ったままにしていた。久しぶりに、その「18 越前の諸道」を引っ張り出して読み耽り、ようやく、概念をつかむ事が出来た。ありがたや、ありがたや。
 この日は、数々の合戦の舞台となった手取川沿いの道を上り、下り、渡り、渡り返して、小松市郊外のビジネスホテルに一泊。Yさんも自分のホームであるキャンピングカーに敢えて泊まらず、身障者の私に付き合い不本意なホテル泊。しかも、「心配だから」と同室を志願してくれて、数年ぶりの旅の宿を無事過ごした。
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    ■138 越前大野城  
      訪問日 2018年11月18日 
      スタンプ設置場所
      「越前大野城一階」


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訪問記は準備中

 



     ■139 佐柿国吉城  
      訪問日 2018年11月17日 
      スタンプ設置場所
      「若狭国吉城歴史資料館」


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訪問記は準備中


 



     ■140 玄蕃尾城  
      訪問日 2018年11月17日 
      スタンプ設置場所
      「余呉湖観光館」


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訪問記は準備中

 



     ■146 諏訪原城  
      訪問日 2018年9月24日 
      スタンプ設置場所
      「諏訪原城第一駐車場パンフレット置き場」


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  久し振りに露天にポツンと立つ捺印所。紙一枚のパンフレットのコピーが昔から入っていた箱を共用しているのだ。それは良いのだが、今の捺印所は市役所、図書館、公民館等の立派な建物に鎮座していて、資料のパンフレットも豪華で豊富だ。少し、違和感があるが、本来、城巡りはこの待遇で充分と思う。

 ここも「山城」。諏訪原城の名はここに諏訪神社があったからだと。静岡県の「続百名城」は、他に興国寺城、高天神城。何れも寺であり天神様の神社が名前の元になっているのが面白い。



***  
 諏訪原城は島田市にある。島田は大井川の渡しで有名だ。城下町ではない。宿場町だ。
そして幕府が管理する天領なのだ。だから、大井川は県境・市境でなく、ライバルの筈の対岸の金谷も同じ島田市なのだ。

 宿場町だから色町も繁盛しただろ。我々はすぐに島田髷、文金高島田を連想する。その連想から、中村美津子歌う「島田のぶんぶん」も口をついて出る。しかし、「ぶんぶん」は関西の遊び人をモデルにした歌だそうで、この島田市には関係ないそうだ。残念でした。

 お城は入口付近を一回りしただけで、次のお城に向かいました。先に書いたように、島田市は天領だから藩主はいない。したがって、と云うのは変だが、城がなく、城下町がない。
 何か物足りない気がするが、島田市を再訪したらば、蓬莱橋で山本譲二の歌を口ずさみ、川越遺跡などゆっくり歩きたいものです。
 



  




     ■145 興国寺城
      訪問日 2018年9月24日 
      

   
訪問記は準備中
  
  




     ■147 高天神城
      訪問日 2018年9月24日 
      スタンプ設置場所 「大東北公民館」

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  静岡県の「続百名城」は4城ある。一日で回るためには家を5時に出ねばならない。と、なると、3時に起きねばならない。と、なると、寝る時間はないに等しいので、今日は、
3城で我慢しようと、Yさんに頼んで5時出発とする。カット予定の一城は浜松城。この城は既に訪問済だし、駅に近い平城だから、いざとなれば、新幹線で一人で行ける筈だ・・と。

 久し振りに東名高速をひた走って、高天神城追手門駐車場。私はここでオシマイ。急峻な山城はYさんが登ってくれる。曰く、「疲れた」。山男のYさんをもってしても手強い山城だった。勿論、頂上の「高天神」の写真も撮ってきてくれた。が、なんでこの山頂に「天神様」が鎮座しているのだろう?しかし、そんなマイナーな疑問はこの城郭史上欠かせない有名な山城にはふさわしくない。


***  
 この城を訪れたのは9月24日。その訪城記にとりかかったのが11月初め。どうにも、書き難い城である。この城を廻っての攻防戦が豊富に記録されている。家康・勝頼が取ったり取られたり。したがって、城を守る将も入れ代わり立ち代わり。攻め方も守り方も、知り尽くした縄張りを充分に活かして、これぞ戦国山城攻防戦を書きつらねばならない。
***

 訪問日が日曜日だったからスタンプ設置場所が「休み」で図書館やら観光案内所やら、たらいまわしに回った。期せずして掛川市内を見学できて良かったが、高天神城は浅学菲才、且つ、実地に歩けない脚悪の身障者には荷が重い。名城に敬意を表して筆をおく。




     ■156 鎌刃城  
      訪問日 2018年11月17日 
      スタンプ設置場所
      「Cafe&Gallery源右衛門」


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訪問記は準備中

 


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