欧州百名城
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  遠藤ワールド、「ヨーロッパの百名城」です。

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ヨーロッパ百名城
■ロンドン単独行(27年6月)

** ■ロンドン単独行(27年6月)
 「日本百名城」の探訪・スタンプ収集が終了した。
まさかと思っていたが、「ヨーロッパ百名城」探訪を始めてしまった。友人たちは海外出張あるいは駐在の経験者ばかりだから、情報を沢山呉れる。なかでも船会社で永年フランス駐在をしていた友人は自身が城好きで百名城のリストの半分以上は訪問済という。
「ご推薦は?」と訊くと言下に「エディンバラ城」と答えたので、私の「ヨーロッパ百名城探訪」の第一歩はエディンバラ城に決めた。
 幸い、私が前に努めていた会社の親しい友人が、かってロンドン支店長を努めていて、話をすると「案内してやる」と有難い申し出をしてくれた。ロンドンへ、ロンドンからエディンバラへの空便。宿。ミュージカルの劇場。なだたるレストラン。これらを全て予約してくれて、サア出発、という数日前に彼は急病になって旅行は不可となった。で、彼の予約を生かして私は独りで羽田からロンドンへ旅立った。

6月15日
 8:50 BA008にて羽田発。ポンド換算1ポンド203円。
 倫敦に昼過ぎに着いた。直ちにJCB(JTBではない)のロンドンオフィスに直行しスケジュールを立て直す。東京でやることをロンドンでやるだけの話だ。さて、その行程。

6月16日16時25分
 先ず、日本語のロンドン市内観光バスを昨日予約した。集合場所をミスしないために早起きしてホテルからタクシーで行く。大きなバスに客は私の他には3人の年輩女性グループ。これも年輩の女性ガイドが手際よく市内の名所を案内してくれる。数々の博物館などがほとんど無料という。ロンドン塔やドコソコではバスから降りて歩く。バッキンガム宮殿では道路の良い場所で、衛兵の交替時の楽隊行進を見せてもらった。
 イギリスの皇室も、日本同様、国民に人気がある。皇室は日本と異なり、素性がはっきりしている。神秘の闇に溶け混んでいる日本の天皇家と違う。しかし、英国民は皇室を尊んでいる。オランダもだ。謎である。
 手帳に書き留めたガイドの言葉。「日本大使館」『三越の予定地』「三越はライオンの銅像を持って行った。」「コベットガーデン」「トラファルガ広場」。私が興味があったこと「ロンドン紳士は背広の着こなしが身についている。バスの窓から見るビジネスマンは全員、紳士服のモデルの様だ」「住宅街を走ると煙突が列柱のよう。小公女を思い出し、チムチムニーの歌が聞こえてくるようだ」
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** さて、ロンドン塔 

 ロンドン塔は1066年イギリスを征服したノルマン人が現地人(アングロ・サクソン人)の抵抗から身を守る為に建てた城だという。普通、城は、現地人が他民族の侵入から身を守るために建てるものなのに、これは反対だ。しかし、あらためてイギリスの歴史を紐解くと、産業革命以前のイギリスは「小さな島国」で、ローマ以前からも、ゲルマンは勿論、フランス、スペイン等々の大陸の諸民族・諸大国の侵略に晒されていた。
 私は、イギリスと云うと世界に君臨した時代のイギリスしか知らなかった。
同じ島国で弱小国でありながら、日本が諸国の侵略を受けなかったことと対照的だ。
 しかし、イギリスはその後世界屈指の大国になった。トラファルガの海戦で、危機一髪、スペインの侵略を防いだのも良かったが、「産業革命」で筋金入りの国力を確立してからだ。
弱小国イギリスに何故産業革命が起きたか。今でもアイルランドの問題を解決できぬままだ。でも、連邦として諸外国に伍していけるのは何故か。少しづつ解ってゆくだろう。
 もう一つ。「倫敦塔」というと夏目漱石の著作が引用されるのが常だ。私は漱石が好きではない。官費で留学しておきながら、行った途端にノイローゼになり以後ズーっと渋面をしっぱなしでそのような小説を書いている。同じくドイツに留学した森鴎外が華々しくドイツの女性たちと交際したのに比較して気に入らないのだ.
「二年の留学中ただ一度倫敦塔を見物したことがある。その後再び行こうと思った日もあるがやめにした。」冒頭の一節である。文部省海外留学生に選ばれた漱石は、明治33・10から明治35・12までロンドンに滞在した。33歳から35歳の時である。たった一日の見学でよく代表作の一つになるまで書き込むことが出来るものだ。なにか漱石はインチキ臭く好きになれない。
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「オペラ座の怪人」 
 
 格式高くジャケット着用を要求された日本料理店「志保」を友人がが予約していたので夕食。但し、客はズックにGパンの中国人の若いカップルがほとんどで雰囲気はそこらの中華料理店と大差なかった。
 「オペラ座の怪人」のチケットを現地で入手できたのはラッキーだった。但し、食後で、時差ボケで、ほとんどを眠ってしまった。解らぬ英語・つまらぬ歌。日本語で見ても面白くなさそうなミュージカル。“Her Majesty’s Theater”のE6という席で見たのになんという勿体ないことを!歳は取りたくないものだ。せめて劇場の写真を堪能して欲しい。
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6月17日
ウォリック城
 

日本語のガイドを車付きで雇う。この贅沢はブラジルで友人がこともなげに手配したのを真似たのだ。車でウォリック城。日本語の専属ガイドが付くと実に快適。城の内部も博物館のように展示されわかり易く写真を撮りまくる。が、ふと気が付くと、これはイギリスの時代劇の映画を見れば充分に知ることができるのだ。「アイバンホー」「ハムレット」「ロビンフッド」などのタイトルを久しぶりに思い出す。
ドライバーが我が女性のガイドと別にいる。勿体ないが急の予約だから仕方がない。彼はポルトガル人。多色で塗られたポルトガルの城の数々の写真を見せて呉れる。ポルトガルへ行こう。
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ケニルワース城 

外国の城の参考書は少ない。イギリスは西野博道「イギリスの古城を旅する」を友人が呉れた。帰国後私の本棚からも発見した。西野氏はウォリック城からタクシーで10K離れたケニルワース城へ行っているので私も車を走らせる。ここは全くの廃城。城壁の隅櫓への石段を登って水掘りを見たり古城見物を楽しめた。
近くのレストランで軽食。この良い雰囲気を写真(4130乞うご参照)に残せてよかった。このドライバーは7−8人を雇っている経営者の由。ガイドと親しく二人で帰途の車中話に興じ、運転中にも拘らず家族の写真を見せたりしている。客はオレなんだ。客を無視するなんてお前の部下にそんな教育をしているのかと、ガイドに当たる。彼女は恐縮して私が友人に頼まれた石鹸と紅茶の買い物に付き合ってくれた。
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** 6月18日
ウィンザー城
 

昨夜は何もかもほったらかして10時に寝て、今朝も8時まで一睡もしないで眠れたのでとても幸せな気分の朝、と、メモに書いてあった。
到着日JCBで予約した「ウインザー城観光バス」が13:30の集合なので大事を取って11時にホテルを出て地下鉄を試みる。目の前の集合場所なのに確認に手間取って決して速すぎではなかった。ウインザー城の自由時間は2時間。城は日本語のイヤホーンの力で1時間で見学終了。
ウイリアム「征服」王はイギリス各地に80の城を急造してこの城を本城とした。「征服」者を英雄視すること、まるで東北人が坂上田村麻呂の神社を建てているようなものだ。そして、今はエリザベス女王のお気に入りの城になっている由。どのような歴史があったのだろう?そのうち、解るだろう。
さて、乗ってきたバスが見つからない。この路か?あの広場か?
なんと、1時間もかかって、町の人に教えられ、教えられ、出発間際にようやくみつけて滑り込む。
 ツアーの人に迷惑を掛けないように、集合時間に遅れないようにするのが精一杯で、城や街をじっくり見る余裕がない。
 城もそうだ。ザット一回りはするけれど、案内板や細部には目が届かない。更に、この城の歴史となると頭に入らない。日本でも最初はそうだったではないか。これから積み重ねてゆくので、仕方がないことだ。
ツアーバスの解散地からホテルまで、通りにふんだんにある地図を頼りにタクシーを使わず帰る。しかし、何故、ロンドンの道はかくのごとく曲がりくねっているのだろう?
 ロンドン市内は屋外はどこでも喫煙可能だ。地図よりもっと数多くの灰皿が配されている。ここで一服、とタバコを出すがライターが出てこない。モソモソ探していると脇からスーッと白い手が伸びてきて私のタバコに火がついた。若くして美しい女性のスモーカーがつけてくれたのだ。ここまでは本当の話です。
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** 6月19日

 エディンバラへ飛ぶ。指定の飛行機に間違いなく乗ることは外国の飛行場では結構難しい。それをクリアして隣席に座った日本人夫妻と会話してホテルへ。することがなく、街を歩いているうちに城についてしまったので急いで帰る。銅像が方々に建っている。最初に見つけた銅像はグラッドストーン氏。二番目はアダム・スミス氏。ウワー、これは銅像の写真を集めようと三番目に近寄ったが全く知らない人なので打ち切った。

6月20日
エディンバラ城
 

昨日の道をスタスタとお城へ。入場料を払い、ウインザー城と同様、日本語の説明イヤホーンを借りて、今日は時間の制約がないのでゆっくり休みながら回れる。
城は岩の上に建っている。自然の岩と、人工の岸壁が繋がるところがどうなっているか?解ろうと、写真を一生懸命撮るが、当然ながら、解らない。
 スコットランドに建つこの城はイングランドと争奪戦の舞台だ。この歴史を知らぬまま城を歩く。歩いて、現地を見なければそこの歴史も頭に入らないのだから仕方がない、これから勉強しよう。
ホテルへ。粥か麺を食べたくなって町の外れの中華店に入ったが、メニュウになく、漢字で書いて見せても中国人の店員は解らなかった。
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6月21日

エディンバラ空港を7:40発のロンドン行きだから、遅れないようにヒルトンホテルにモーニングコール、タクシー、朝食のパックも頼んだがチットモ安心できず、一人起きてはホテルに催促。受ける時にはにこやかに応じてくれたのにこれがホントの「安請け合い」。
ロンドンの乗り換えで最後の神経を使い、あとはベッドで長々と伸びて疲れを癒して
6月22日 7時20分
無事、羽田着。9時、無事、自宅着。
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